コウゴ・カナエ

個展「めでふれる」

個展「めでふれる」 

約2年ぶり個展を開催いたします。
会場は、前回の個展でもお世話になったSAN-AI Gallery。
(今年7月に移転し、少し広くなりました)

時世がら、何かに「ふれる」ことをためらうようになり、
触覚ではなく視覚でふれることができたらいいのに、と
祈る気持ちから生まれた作品たちを展示します。
(新作8点〜、旧作2点〜)

 

日程|2021/09/19[日] - 09/25[土]
定休|09/22[水]
時間|12:00〜18:30 *最終日17:00迄
入場|無料
会場|SAN-AI Gallery (*今年7月に移転しました)
https://san-ai-gallery.com
東京都千代田区東神田1-13-17 森ビル1階
(浅草橋駅または馬喰町駅より徒歩3分)
 

Date|Sep. 19[Sun] - Sep. 25[Sat], 2021
Holiday|Wednesday
Open|12:00pm - 6:30pm *until 5 pm on Saturday
Place|SAN-AI Gallery
Bakurocactus 2F, 2-4-1, Nihonbashi-bakurocho, Chuo-City, Tokyo
(3 minutes by walk from Adakusabashi St. or Bakurocho St.)

 

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Emirp

協同出版より発行されている月刊誌『教職課程』にて掲載中の『エマープの夢』というコラムについてのページです。

 

ご感想をぜひこちらまでお送りください。

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*ログインの必要はありません。

 

■過去の記事一覧(*コラムを読むには,雑誌の購入が必要です。)

No.|date|title|topic
028|2021年4月号|月と手帖|生活
027|2021年3月号|過去との交信|気持ち
026|2021年2月号|明るい匂い|五感
025|2021年1月号|夜の声|気持ち
024|2020年12月号|不安|気持ち
023|2020年11月号|積ん読のすすめ|言葉
022|2020年10月号|風下に立って|数字
021|2020年9月号|“無意識” を自覚する|言語
020|2020年8月号|爪先立ちの日々|言葉
019|2020年7月号|訪れた “いつか”|やりたかったこと
018|2020年6月号|“知らない” を知る|言葉
017|2020年5月号|心の鉢|ノスタルジー
016|2020年4月号|はじめての国|言語, 文化
015|2020年3月号|点を追う|部分と全体
014|2020年2月号|できなくていいこと|言葉
013|2020年1月号|意味を聴く|言語
012|2019年12月号|“言葉” と “ことば”|言葉
011|2019年11月号|好きこそものの|図形
010|2019年10月号|誰かの手紙|手紙
009|2019年9月号|揺れ光る影|言葉
008|2019年8月号|髪にポプラをからませて|言葉, 文化
007|2019年7月号|祈りのかたち|祈り
006|2019年6月号|メモ吹雪の春|言葉
005|2019年5月号|エマープと名前|数字
004|2019年4月号|五線譜の空|言葉
003|2019年3月号|27時の三日月|文字
002|2019年2月号|本能寺の恋|言葉
001|2019年1月号|はじまりのエイ|自己紹介

  

 

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個展「めぐりあい」

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個展「めぐりあい」

 

東京・浅草橋にあるギャラリーにて、個展の機会をいただきました。
ステンドグラスや石畳シリーズなど旧作のほか、
ドイツで見つけた木洩れ日や自然から着想した新作を展示予定です。
直接作品に触れていただけます。
紙と、図形と、光の共鳴を、ご覧ください。

 

日程|2019/11/24[日] - 11/30[土]
定休|11/27[水]
時間|12:00〜18:30 *最終日17:00迄
入場|無料
会場|SAN-AI Gallery
https://san-ai-gallery.com/access/
東京都中央区日本橋馬喰町2-4-1
Bakurocactus 2F
(浅草橋駅または馬喰町駅より徒歩3分)日程|2019/11/24[日] - 11/30[土]
備考|同フロアにて、陶芸作家の方の個展も開催されます。

 

Date|Nov. 24[Sun] - Nov. 30[Sat], 2019
Holiday|Wednesday
Open|12:00pm - 6:30pm *until 5 pm on Saturday
Place|SAN-AI Gallery
Bakurocactus 2F, 2-4-1, Nihonbashi-bakurocho, Chuo-City, Tokyo
(3 minutes by walk from Adakusabashi St. or Bakurocho St.)

 

 

exhibition01  exhibition02


 

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Art Point in Paris

Art Point in Paris

会期|2019. 07. 17 [金] - 07. 18 [木]

時間|13:00 - 18:00 

入場|無料

会場|Galerie Metanoia

住所|56 Rue Quincampoix 75004 Paris France

 

ART POINT選抜メンバー(日本人作家)によるパリでの展示に参加いたします。

 

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フライヤー全文公開〈20,047字〉

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2019年3月11日に迫った展示会に向け、フライヤーを制作しました。フライヤーの背面には、シルバーのインクを一面に用いて20,000字以上の文章を印刷しています。普段あまり見ないような面白い表現で画面を構成できたらと思ってのことで、内容については読まれなくてもよいと思っていましたーーのですが、予想を越えて「読みたい(けど読めない...)」という声をたくさん頂いたので、ここに全文を掲載することといたします。お時間の許す方、お付き合いくださいませ。

 

ちなみに一番最初の読了報告は私の父でした。#要らぬ報告

 

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富山県の印刷会社・山田写真製版所にてシルバーインキの濃度調整中に撮影したフライヤー(背面)

 

***

 

〈前置き〉

・基本実物のフライヤーの体裁を保つことを優先しました。が、読みたいという気持ちを少しでもお持ちの方に対して自分の信念のみを貫くのは無礼と思い、最低限の改行を入れています。

・本文にも出てきますが、文章を読む一般的な速度は400~600字/分だそうです。20,000字だと...?お読みの際は、どうか休息をはさみつつ、目を大事になさってください。

・フライヤーを直(じか)で読む場合は、光源に透かしてインクの反射をなくすと、多少読みやすくなります。ふふふ

 

***

 

〈では、本文〉

2018年11月22日深夜28時(11月23日の午前4時)、自室にてこれを書き始める。2019年3月に決まった展示会のフライヤーを作ることになり、その片面を2万の文字でびっしり埋め尽くす試みである。面白いと思い、熱量をもって書き始めてはみたものの、途中から文字を打つ手が進まない。大筋はとてもシンプルだ。紙と図形と身の上話を書きつつ、適度に脱線しつつ、「新作5点を見に展示会へお運びいただきたい」と言おうとしている。紙の話の滑り出しは上々なのだが、図形の話を書き始めたあたりで真偽の確認が必要になり、文を一行書くごとに手が止まってしまった。いくらこの紙面がちいさなちいさな文字で綴られ、読まれない可能性が高いとしても、テキトーなことは書けない(書きたくない)性分なのである(意図的に適当に書こうとすることはままある)。|現に、この冒頭の件は、本文が6,000字ほど書き上がったのちに何を綴るべきかと迷子になり始め、付け足しで書いているところだ。今、本当は2019年1月21日の夜18時35分である。夕方、と書こうとして、もうとっくに日が落ちていることに気がついた。都内のコーヒーチェーン店の中にいる。知らぬまに年も明けてしまった。その間私は、2万字(を書くためのテキストファイル)の海で溺れていた。こうして溺れている自分と溺れていない自分とを行き来させることで手が進みそうだと思い至り、肩の力を抜いていよいよ文章を書き出してみることにする(ここまで(次の句点を含む)で、619文字)。

 

さて、〈紙〉に初めて触れたのがいつであったかは覚えていないが、感動したことは幾度となくあり、それぞれの瞬間を鮮明に覚えている。|①絵を描くのが好きだった小学生の頃のある日、母が30枚綴りの〈トレーシングペーパー〉を私によこした。見本の絵に重ねればその線がくっきりと浮かび上がり、簡単にうつし絵ができることに歓喜した。当時は言葉にできていなかったが、「透ける」という主機能だけでなく、紙の透け具合のムラや、擦れあうときのシャラシャラとした密やかな音も合わせて、好きだったと思う。|②また、図画工作の授業のこと。水彩絵具を使って絵をかく授業があり、そのときに使った画用紙の名前を今も覚えている。教科書の表紙よりも分厚く、表面のざらりとした凹凸が美しいその紙は〈マーメイド〉と呼ばれていた。水気への耐性があり、絵具の色をきれいに発色させるその様はまさに人魚のようであるとも思えた。何より、当時の私にとって〈紙〉は〈紙〉で、せいぜい「厚さ」「色」「凹凸」の違いがあることを認識していた程度だったので、その〈ただの紙〉に「名前」がついていること自体に漠然とした美しさを感じ、驚いた。|③小学校卒業。中学一年の十月、立候補をして入った生徒会にて書記を務め、毎月「STUDENT TIMES」という生徒会報を発行していた(今、九年ぶりに「STUDENT TIMES」の名前を声に出し、自分の記憶力が可笑しい)。そのB4サイズの会報には、毎月のお知らせや委員会でのまとめなどを書くのだが、その下書き用にと与えられたのが〈方眼紙〉である。何の変哲もない、ただの〈方眼紙〉だ。5ミリごとに水色の極細線が、5センチごとにやや太い水色の線が引かれている。おそらく多くの人が見たことがあるであろう。最初の数か月は何も考えずに下書きをし、生徒会顧問に提出をし、数日後、ホームルームの時間に配られるという流れを繰り返していたのだが、あるときふと気付いた。この〈方眼紙〉、鉛筆やボールペンやマジックペンの黒色はきれいに印刷されるが、〈方眼紙〉に引かれている水色の線たちは一切印刷されていない。影も形もない。これが印刷機の性質上の理由で、モノクロコピーの場合に青色の細い罫線をほとんど識別しない弱点を利用しているということは、後から知ることになる。よって紙の性能ではないのだが、幼き私はこれを〈特別な紙〉と思ってたいそう重宝した。|書きながら、記憶の中の話を書くときは事実を淡々と並べてしまって脚色できないことに気がついた。本当はできうるのかもしれないけれど、感動した内容を書くための前置きが長くなってしまって感動した内容が薄まるという悪循環である。丁度カフェで隣に居合わせた女性も、拡声状態の電話で話し相手の語調が強まり、何やら不穏な空気である。みんな悪循環である。気まぐれに書き始めたので気まぐれに書き進めることにしよう。さて、話を戻すことにする(やっとこさ1,811字)。|④再び生徒会である。書記を務めた翌年、中学二年の十月にも立候補してその年は生徒会長となり、新一年生を迎えるにあたって中学校の「校章」の意味を説明することになった。今ならば、パワーポイントでさっとアニメーションを作り、校章の画像を中央に置いてその周りへどんどん説明を加えていけばよいのだが、当時の私にパソコンを扱うスキルはなく、学校側にもその環境はなかった。そこでどうしたかと言うと、「書画カメラ」(なかなか名前を思い出せず、『ライト 机 手元 カメラ 投影』と検索することで辿り着いた)を用いて手元の用紙をカメラで写し、スクリーンに投影するというものだった。そのときに使う専用紙が、〈透明の紙〉である。もう〈トレーシングペーパー〉どころの騒ぎではない。完全に近い透明で光は反射しにくいこの紙(今思うとこれはプラスティック製フィルム)に校章を描き、そこに新たな〈透明の紙〉を重ねて説明書きを加え、それを繰り返して完成したアナログレイヤーを以て校章の説明に挑んだ。この〈透明の紙〉にもたいへんつよく心を揺さぶられた。あまりにも気に入りすぎて、書き損じを数枚拝借し、除光液でインクを落として部屋に持ち帰ったほどだ。持ち帰ったのならば落書きに使うなどすれば良いものを、ただ所有し、時々触れたりすることに幸福感を覚えた。この頃から、良いと思った〈紙〉は使うよりもただ撫でたり触ったり眺めたり重ねたり嗅いだりするほうが好きだったらしいと分かる。|⑤中学卒業。高校生になる。ずっと昔から折り紙が好きだったのだが、高校一年の時同じクラスで仲良くしていた友人が野球部のマネージャーをしていて、大会前に千羽鶴を作っていたのを手伝ったことがある。4分の1の小さいサイズ、一辺7.5センチの〈折り紙〉で鶴をひたすらに折り続けて、ある時〈折り紙〉の色の付き具合のムラに目がいった。そして、色のついた繊維を用いるのではなく、既成の折り紙用の白紙に印刷して色をつけているのではと考えた。だから表裏で異なる色になるのだということも分かった。これは感動というよりも、「そういう紙もあるのだな」くらいの冷静さで通り過ぎた部分であったが、「印刷で紙の色をつくる」ということを知った良い機会であった。|⑥高校に入学してすぐの頃、小中から続けていたオーケストラや吹奏楽ではなく軽音楽部を選んだ私は、高校二年の頃に自分のバンドでオリジナルのCDを作り、それがグラフィックデザインという分野を知るきっかけにもなった。その後、都内の大学のデザイン学部に入学し、初めて「紙だけを販売する専門店」の存在を知る。封筒や手帳といった加工品の類もあるのだが、メインはA4から全紙と呼ばれるサイズまでのぺらの一枚紙の販売だ。課題制作のために初めてそこへ訪れて購入したのが〈里紙〉であった。その繊維質な紙のぬくもりに、見本紙を見ただけで目が釘付けになった。特に、暗めトーンのものは紙自体の色よりも明るい繊維の色がしっかりと表れ、明暗が絡み合い、紙自体が呼吸をしているようだと思った。お赤飯のあずきの皮がそのまま紙になったような〈里紙(あずき)〉、紅葉のきれいな大通りで葉を拾い集めて押し花にしたような〈里紙(柿)〉や〈里紙(枯葉)〉などを含む、全50色が用意されている。〈紙〉としての特性だけではなく、視覚と触覚で楽しむ鑑賞物として紙を味わった最初の体験だった。|⑦次に私は、光沢紙に魅了されることとなる。大学二年の頃の課題で、「白色」の作品を作ることになった。普段はテーマが先に与えられていることが常なので、ただ完成時の色だけが先に指定されている状態は想像力を搔き立てた。迷わず紙を使うことにした。その時は「紙を使おう」とすら思っておらず、きっと初めから「どの紙を使おう」と考え始めていたのではないかと思う。再び「紙の専門店」に訪れ、いろいろな紙を見て触れた。普段目にするコピー用紙とは、白さも肌触りも光の反射具合も異なる白い紙たちに、いちいち感嘆した。中でも〈ペルーラ〉は、上品な光沢としっかりとした硬さのなかに絶妙な透け感を残し、水の中にいるような心持ちになった。「真珠」を意味するスペイン語「Perla」が語源とのこと。なるほど納得である。|このような、紙にまつわる原体験を経て、私の紙好きが形成されてきたように思う。|そういえば、本を読むときも必ず紙のものを手に取るし、CDだって配信よりはジャケットを手に取り、隅から隅まで眺めたいタチである。当時は残り続けるとされた『巻物』が『書籍』に移り変わって幾歳月。近い時代に『電子書籍』に移行してしまおうとも、私は、紙の本と紙そのものとを愛で続けたい(3,727字)。

 

次に、〈数学〉への興味や、数字・図形を好きと感じるようになったきっかけを考えたい。|学問としての〈数学〉について言えば、実は「好き」を認識した時点の記憶がない。ただ、「得意」かもしれないと思ったのは中学生の頃であった。中学入学後、初めての5科目中間テストで100点を取ったのが数学であったから、「自分は数学が得意なのかもしれない」と思えた。道のりはたくさんあれども答えが必ず存在し、時に「解なし」という解答にも出会い、正しい方法を用いれば誰でもその答えにたどり着けることや、たった一つの公式をさまざまな場合に適応できることなどが、自分の心を落ち着かせたのだと思う。人の気持ちを考えるのが苦手であったり(文章を読むのは好きだったが現代文の問に答えるのは苦手で、自由に解釈させて!と叫んでいた。心の中で)、本当かどうか分からないことに膨大な記憶力を捧げたり(歴史ものは全般的に苦手だった)、使用器具の多い机の上にストレスを感じたり(理科系の座学は好きだったが実験が伴う瞬間は自分の手には負えない感じがした)という生徒だったので、「数学が得意かもしれない」というのがたとえ思い込みであったとしても当時の心境には良い効果があった。|さて、私の思い込みに拍車をかけて、「数学は面白い」と思わせてくれた源泉の一つに、今も慕う一人の数学の先生がいる。中学入学当時20代後半だった男性の先生。とてもユーモアに溢れていて、たとえば期末テストの「大問2」あたりで必ず登場する選択問題(数学用語を覚えるための穴埋め問題で、最適なものを選択肢から選び記号を解答する)で、自分の答案を1から順番に読むと「サ・キ・イ・カ・ク・ウ(さきイカ食う)」になったことがある。解答中は気付かなかったが、全問解き終わり余った時間で確認をするという段になって、「・・・・・おや?」と目がいった。正答者だけが分かるプレゼントに嬉しさを感じたけれど、中学生女子にさきイカは必要ない。今なら欲しいとも思う。そんな先生が、毎回復習プリントとしてA4用紙の4分の1サイズくらいの小さな紙に前回授業の復習に作ってくれた5問の練習問題は解法の定着に役立ったし、ある問題をその章で教わった方法と違う解き方で解答したときに「それもあるよね、ちなみにこういうのもあるよ」と話を派生させてもらえたこともたいへん楽しかった。ちなみに、中学卒業後の私はこの先生と同じ高校へ進むこととなった(偶然)。|もう一つ、学問としての〈数学〉を考える上でとても貴重な体験をした。中高でお世話になった学習塾で、大学在学中に講師として四年間アルバイトをしていた時のことだ(ちなみに教師ひとりに対して生徒1~3人を持つ個別指導塾だ)。高校一年生の生徒に『因数分解』の章を教えていた。ちょうど『展開』の章の勉強を終えたばかりの彼はふいに、「ねえ、この間せっかく式を『展開』してカッコの中から救出したのに、どうしてまたカッコで閉じこめちゃうの?」と聞いてきた。はっとした。そして、少し考えて私はこう答えた。――「たとえば、10という数字を考えよう。足し算だと、「5+5」とも、「1+2+3+4」とも、「1+1+1+1+1+1+1+1+1+1」とも書ける。負の数もあるから、書き方は無限にあるよね。でも、掛け算なら、『2×5』『(-2)×(-5)』これだけ。負の数をゆるしてもたった2通りだけで表せる。だからきっと、数の世界を理解しようとするとき、足し算じゃなくて掛け算で考えることが、数の世界の約束事なんじゃないかな。この間まで一緒にやった『展開』は、中身の分からないものを足し算の形に直して、要素を見つけてあげる作業。でも、中身が分かったら、数が一番美しく見える形、掛け算の形に戻してあげる。その時の方法が『因数分解』ということ、だと思う」――顎に手を当てたりこちらを覗き見たりしながら私の長い話を聞いていてくれた彼は、私が話し終わるなり、「ああ、なるほど、そうなんだ。まだ感覚だけど、掛け算ってきれいなんだ。うん、なんか分かったかも」と言って明るい表情になった。そのときほど生徒と心を通わせた実感を持てたことはほかにない。この体験が、物事を深く考えることと、それを伝わるまで伝えることの良さや面白さに触れ、〈数学〉を学ぶ楽しさを味わった。|この「〈数学〉を学ぶ楽しさ」というのは、「〈数学〉の問題が解ける楽しさ」とは少し性質が異なるように思う。一つの問題を解くミクロな立ち位置から、先ほどの『因数分解』の例のようなマクロな視点へとワープする感覚。この体験を通して、学問としての〈数学〉から〈数〉や〈数の世界〉という概念への関心が高まっていった。ちなみに、ここでいう〈数〉とは単に1、2、100、千…などに止まらず、「x+y+1」や「(x-2)(x+2)」のような「式」、円周率を表す「π」、階乗を表す「!」、ベクトル演算の「矢印」など、多くの文字や記号を含む。ちなみに(2回目)、〈数〉と〈数学〉は似ているようで全く異なる。〈数〉は概念であり、それを視覚化したものが〈数字〉である(先述の「式」「記号」「文字」などが〈数字〉の例)。すなわち、「ひとつのりんごの隣にもうひとつのりんごを置いて、合計はふたつ」とするのは〈数〉の概念であり、それを「1+1=2」と視覚化したのが〈数字〉、その理論を体系化したのが〈数学〉という学問、ということになろう。高校までの算数や数学の授業以外に専門的に勉強したわけではないので、知識というよりはただの信念なのだが、「〈数〉は人間の『発見』であるが『発明』ではない」という考えを私は信じている。つまり、私が何を思おうと(または何も思うまいと)、〈数〉の概念は存在し、〈数字〉はそれを共有するための道具である。こういう話を、いつか文字上でなく誰かと会話できるようになりたい。|さて、「話がややこしくなってきたぞ…」とお思いの方、この〈数〉だの〈数字〉だの〈数学〉だのの話はもう終わりなので、どうかこのフライヤーを破らないでいただきたい。また、「時々〈数字(すうじ)〉と〈数学(すうがく)〉とを読み間違えるぞ…」などとお思いの方、実は私もそうである。そういう方には、「素敵」を「素数」と読み違えたり、「複数」を「複素数」と読み違えたりする素質がある。ああどうかこのフライヤーを粉々に破らないでいただきたい。とはいえ、次の句点でまだ6,317字である。全体の半分にも至っていない。これは、よもや破られても仕方がない気がしてくる。ただし、破るつもりの方はその前に一度、この紙の左右の辺を持ってお近くの光源にかざしていただきたい。表面のステンドグラスをモチーフにした作品の薄い色の部分が透け、光がこぼれてくる(ことになっている)。そしてこれを見て「なにも破ることはないな」と思いとどまっていただけたら幸いである。

 

さて、〈数〉の話に続いて、〈図形〉の話をしてみる。当初、これを書き進めていた2018年の年末の実家のこたつの中では、〈図形〉ではなく〈幾何学模様〉という言葉を使っていたのだが、今(2019年、カフェにて)見返すと、〈幾何学〉の「学」の字が〈数学〉と同様「学問」の要素を含んでいて不要な気がした。ここでは、ただの「図」や「形」をシンプルに示すため〈図形〉と呼ぶことにする。|この〈図形〉にも、〈紙〉と同様に好きだと思うようになった明確なきっかけがある。もともと、算数の作図や図形を扱う問題は好きだったのだが、それは問題を解いている間だけのことだった。生活の中でも意識できるほどの関心を開花させてくれたのは、大学三年の「製図」の授業だった。その授業では、ステッドラーの製図用シャーペン3種類(0.3mm、0.5mm、0.7mm)と、同様にコンパス3種類、さらに40cm定規を使用して、設計図で使う用語の意味や図面の書き方を教わる。序盤は正三角形や正方形などシンプルな図形の作図に始まり、正五角形を二通りの方法で作図したり、立体図形の三面図を書くなど、回を重ねるごとに私の興奮は高まっていった。コンピュータでもできることを手作業で丁寧に仕上げていく工程はとても気持ちがよかった。|授業のカリキュラムが半分ほど終わると、自主制作課題が出た。それは「四方連続模様の制作せよ」という課題であり、自分の図形好きを決定付けたように思う。この「四方連続模様」とは、正方形のタイルになんらかの模様を描き、そのタイルを上下左右自由に回転させながら敷き詰めることで、たったひとつの図版から大きな模様を構成するという手法である。サウジアラビアやトルコなど、イスラム教の文化を持つ地域で古くから使われてきた手法だそうだ。これを紙の上で擬似的に描画する、という課題である。4パターン作成して自分が一番納得のいく形のものを提出したところ先生が褒めてくださり、それに味を占めた私は課題終了後も同じ方法で模様を作り続ける。新たに40種類ほどのパターンが完成した頃には、コンパスと鉛筆ではなくパソコンの前に座り、制作したパターンに色をつけ、画像化し、作品集にした。この体験が私に、「私は〈図形〉を見るのも作るのも好きである」ことを気付かせた。|さて、このようにして〈紙〉〈数〉〈図形〉を好きと自覚するようになり、それらが少しずつ自分の日常生活に組み込まれるようになった。初めて見る〈紙〉にはできるだけ触れ、可能ならば持ったり折ったり嗅いだり擦り合わせて音を聞いたりしている。目に入った数字を素因数分解してみる癖が付き、道を歩きながらふと視線をやった足元に広がる石畳やタイルの規則的な(または無秩序な)パターンに心を躍らせたりする。人から見れば何でもないことかもしれないが、私を幸せにしてくれるこれらに気付くことができて、とても嬉しい。

 

ここで箸休めに(読み進めること自体が休みにならないというご指摘は聞こえないことにして)、数の世界に生きる人を描いた作品を列挙してみる。|①『博士の愛した数式小川洋子著/新潮文庫/2005年)』花の香りがして「いい匂いだ」と思うような自然さで、日々のあらゆることを数の世界と結びつける「博士」、「博士」の身の回りの世話をしながら数への友愛を深めていく「家政婦」とその息子「ルート」を描いた美しい物語である。|②『浜村渚の計算ノートシリーズ(青柳碧人著/講談社文庫/2009年~)』数学が大好きな中学生の少女渚が、とある事件の特別対策本部に迎えられるところから物語が始まる。普通の女子中学生に見える彼女がひとたび数学の話を始めると、服や食べ物や芸能人について話すほかの女子中学生たちと同じように、数学がただの嗜好の一つであると思えてくる。そこに難しい知識や経験は不要で、ただ自分のやり方で世界を楽しんでいることが、眩しくも、羨ましくも、悔しくもある。|③『すべてがFになる森博嗣/講談社文庫/1996年)』ここで紹介する他の作品に比べ、間接的な表現がやや多く、ゆえに不明なままストーリーが進んでいく箇所もある。が、それで良いのだろうと思う。「真賀田四季」という天才の世界に近づきすぎてはいけない。冒頭、「1から10までの数字を二組に分けて、それぞれの組の数を掛け合わせたとき、両者の数が一致することはあるか」という問とその明確な答に感嘆した。漫画化、テレビドラマ化、テレビアニメ化もされているので、自分にフィットする媒体で味わってみることを勧める。|④『はじめアルゴリズム(三原和人/講談社モーニングKC/2017年)』こちらは漫画。学校での授業を受けず、独自の方法を使って数の世界を遊んでいた少年が、学問としての数学に出会い、智を深めていく話。彼の言葉にならない部分の感動や興奮や苦悩や喜びやとにかくあらゆるな感情が視覚化されていて、漫画ならではの楽しみがある。分かる瞬間の弾むような喜びを一緒に味わえる。|⑤『イミテーション・ゲームモルテン・ティルドゥム監督/2015年)』続いて映画。実は初めて見たのは欧州へ向かう飛行機内の小さな画面で、映画の途中「こんなに雑に見てはいけない!」と思い至り、帰国後すぐに見返した。面と向かって人におすすめするのは難しい側面がありつつ、数学における探求の喜びと苦悩がひしひしと沁み込む。|⑥『奇蹟がくれた数式(マシュー・ブラウン監督/2016年)』インドの数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンと、彼から届いた手紙に興味を持ち自分の大学へと招聘した、ケンブリッジ大学の数学者ゴットフレイ・ハロルド・ハーディの実話を描いた映画。序盤、インドから渡英するラマヌジャンが、船で一緒になった男に「6,000マイルだ。信じられるか」と問われ「大きい数には慣れている」と答えるところがとても好きだ。|⑦『grid index(カールステン・ニコライ著/gestalten/2009年)』おそらく絶版になっているドイツの芸術家カールステン・ニコライの作品集。直線(または線分)を用いて表現可能な図形が300ページ以上にわたり構成されている。図形の静けさと美しさとを同時に堪能する。彼は「アルヴァ・ノト」という別名義で音楽分野での活動もしており、その名にあやかって私自身の活動名を「カナエ・コゴ」にしようかと本気で考えたことがある。が、好きが高じて冷静な判断ができなくなっていると分析し、それには至らなかった。|ここまで書いておきながら、上記に『フェルマーの最終定理』や『マスペディア1000』、『素数の音楽』や『数学ガールシリーズ』を紹介しないことには少々違和感もあるけれど、そろそろこの文章の主題を忘れそうになるので一度終わりとする。いやはや、次の句点までで9,209字。

 

2016年春、大学を卒業して都内にオフィスを持つ企業に就職した。ここではデザインなどのクリエイティブ職ではなく営業として働くことになる。入社から数か月が経った頃、とあるカフェにめぐり合う。「Cafe634(カフェ・ムサシ)」といって、黒色と灰色と白色で構成された無機質な建物に、木製の机椅子が水平垂直に並び、入店する人をやさしい香りとおいしい食事が迎えてくれる。初めて頂いたのはホットのレモネードで、包み込むような甘さの中で時々弾けるようなすっぱさが美味しい。良い時間を過ごしたあとの心のやすらぎは、時間が経っても残る。その心地よさを教えてくれたのがこのカフェだった。なぜ急にカフェの話を始めたかというと、人生初の個展を行ったのが、このカフェだからである。|2017年夏、その年から「EDIT」という手帳に出会い、ほとんど毎日その手帳に図形の落書きをしていた。あるときふと「この図形を誰かにも見せたい」と思うようになり、その気持ちを宙ぶらりんにしたまま行ったムサシでは、絵の展示が行われていた。「そうかここで展示ができるのか」と思考がリンクした。それからは早かった。目的もなく書き溜めていた図形のうち、作品のベースにしたい主パターンを見つけた。そして2017年9月6日の昼、混雑するランチタイムを避けた14時頃お店に入る。緊張しながら、何度か言葉を交わしたスタッフの方に、「ここで展示をしたいのですが、お手すきのときに店長の方とお話しさせていただくことは可能ですか」と問う。すると、自分の食事が終わった頃、店長さんが私の席まで来てくださった。ムサシの店長・児玉さんはとても気さくな方で、展示をやりたいという相談をする直前、私が膝の裏や脇や額やあらゆるところに汗をかきながらやっとの思いで「はじめまして」と言うと、「いつもありがとうございます」と笑顔で返してくださった方である。2階の奥にある調理場から、フロアのすみずみまで見ているのだなあと感激した。ここで体内の全水分(汗とか涙とか)が放出しそうになるのを抑えて、サンプルを見せながら「こういう模様を描いていて、よろしければこちらで展示をさせていただきたいのです、」と言うと「いいですよ」とあっさり。逆に「いつがいいですか?」と聞き返され、「ええっ…そうですね…、11月~12月くらいでしょうか(※この時は9月)」と答えると、「あ、いいですよ。その時期なら、壁、空いているので」と言われる。そのゆるやかな空気感や言葉遣いに、自分が緊張していたことすらなんだか可笑しくて、いつの間にか汗は引き、心は弾み、あっという間に惹かれてしまうお人柄だった。そうこうして展示の約束を取り付けた。本当のことを言うと、この時はまだどういう形態で展示を行うかも、それどころかどのように作品を制作するかも決まっていなかった。紙を立体的に折り込む手法にも辿り着いておらず、手近な紙にペンで書いた模様が数種類あるだけだった。展示場所が決まり、自分を追い込んだところでいよいよ、どのような作品をどのように制作し、どのように展示をするかを考える段になった。|ところで、一般的に文字(日本語)を読む速度は1分間に400~600字とされているそうだ。間を取って500字とした場合、20,000字を読むのに40分かかることが判明してしまい、驚愕している。気まぐれに書き始めた文章を完成させるために既に数日と数十時間が経過しているが、それを読むのに40分を要すということは考えもしなかった。けれども、これまで「文字量」を「時間」に換算して考えたことがなかったので、これはこれでとても楽しい(謎のポジティブ)。ちなみに今、左の「今」という漢字のところで10,691字。やっと1万の大台に乗り、折り返し地点である。ここまで読むのにかかった時間と同じだけこれからも読んでいただくことになる。ははは。

 

さて、人生初の個展が決まって最初に気付いたことは、個展を「個展」と呼んでしまうと、同時に「コテンパ」という言葉が連想されてめげるということと、そういう自分の自信のなさや不安定さのようなものである。ひとまずただの「展示」と呼ぶことにしたし、さらに冷静さを取り戻すべく、展示をやることを家族や大学の恩師などに伝え、自分のやりたいことと実際に何ができそうかということを相談をした。一人の敬愛する映像作家であり恩師である先生がくれた言葉で私の作りたい作品の方向性が決まった。「ただのパソコンの直線でどんなにきれいな図形を印刷して見せても、はい、きれいですねで終了。無機質なもの(図形)を無機質なもの(パソコンや印刷)で書いている心が動かされないよね。でもその無機質なもの(図形)を版画やリトグラフみたいな、10回やったら10回とも色や線の太さが変わるみたいな、そういう手仕事や表情の違いに、心が動くものなんじゃないかな」|〈図形〉を使って表現をしたいと思った理由のひとつに、〈図形〉の美しさを人と共有したかった、というのがある。先述の通り〈数の世界〉に存在する概念は、私が美しいと言わずとも美しくそこに存在しているので、言葉にする必要はないのだが、それを誰かと共有できるとしたら、それには別の美しさがあると思った。また、〈図形〉が一般的に言えば個人の生活に大きく影響していないということも承知していた。ゆえに、私の作品に関心を持ってもらうところから始めなければならなかったので、「『題材』の『無機質さ』を、『手法』によって『良さ』に変えるべし」という先生のご指摘は最もなものだった。帰るなり、版画やリトグラフについて調べる。すぐに、自分には金属を加工する技術も知識も時間もないと思い至る。そして、そばにあった紙が目に入る。「この紙を切ってみよう」と思ってから実行するまでほとんど時間はかからず、こうして、「①図形の構成を決める→②構成通りに紙を切る」という手順で作品づくりが始まろうとした。ところが、切り落とした紙を見詰めるうち、空いた穴の部分がなんがかとても寂そうに見えた。そこで、穴の部分へ立体の形に折った紙をはめ込むことにした。そうして「①図形の構成を決める→②構成通りに紙を切る」に続き「③穴の大きさに合わせた三角柱や四角柱の型を切り取る→④はめ込む」という4段階をもって、一つの作品を作ってみることにした。文字で説明するのが何とも難しい作風になってしまったが、自分としてはこの手法を気に入っている。|気に入っていることにも理由がある。それは、〈紙〉や〈図形〉の美しさの根拠が自分に依存せずに存在しているということ。たとえば、私は絵具などの着色画材を一切扱えないのだが、それは一つひとつの色を自分で作らねばならず、そこに根拠を持てないからである。けれども〈紙〉ならば、用意された範囲の中で自由に色や質感を決めることができ、さらに再現可能で、その堅実さが心地よい。同様に〈図形〉も、私が美しいと言わずとも、美しく存在している。私はその美しさを「借り」て、再構成させてもらっているだけなのだ。このようにして色(紙)と形(図形)を扱うということが、自信のなさをやわらげてくれる。|では「作品の全てに、私自身の外に理由や根拠があるのか」と言うと、そうではない。これは、「そもそもなぜ作品を制作するか」ということにつながる。〈紙〉や〈図形〉を媒介にして、「日々の感情や体験を残したい・再現したい」というのが制作の原動力である。たとえば、人との交わりによる喜びや悲しみ。どのようにして良い生活を送るかという思考。働くことと休むこと。外国でひとり味わう、セーヌ川の静けさ、シテ島ノートルダムのステンドグラスの荘厳さ、ケルンでの日照時間の長さ、コペンハーゲンで入り損ねた王立図書館(通称ブラックダイヤモンド)の異質さ、ブリュッセルの小道を彩る石畳の明るさ。そういうものにいちいち感動してしまうこと。自分の感情がミキサーでぐるぐるにかき混ぜられかき乱されてもなお「よかった」と思えるような情景を、取っておきたい、という気持ちである。この部分は、自分の内面に起因する、最も流動的な部分であろう。つまり、〈図形〉が持つような客観的な根拠はない。流動的な題材を扱っているからこそ、それを表現するための手法は堅実でありたい、という願望なのかもしれない。|また、制作を続ける理由にはもう一つ理由がある。デザイン学部に入学してから、授業課題だけでなく、先述の作品集のような自主制作や、音楽仲間からの依頼でフライヤーやCDジャケットを作る機会が多々あった。自分がやりたいと思うだけでは実現しないような縁もあり、視覚表現で何かをつくるという機会に恵まれていた。卒業後も細々と制作を続けてはいたものの、人から依頼を受けることも、自分の作品を人に見せるという機会も減っており、その状況に悶々としていたというのが正直なところである。|2017年1月から使い始めたEDITという手帳には、マンスリーカレンダーの後ろに1日1ページが割り当てられていて、そこには罫線の代わりに点線があった。悶々とした内容の日記のとなりで点を結んで図形を描いたりしていたので、その拙い線たちが今の作品の原型を作っていると思うと、嬉しい。

 

ムサシでの展示を終えたとき、次にどう行動するかというプランは白紙だった。ところがタイミングよく、2018年4月に表参道のスパイラルホールを会場とする「SICF19」に参加する機会を得て、「Gallery ART POINT」のオーナー・吉村さんに出会い、2019年3月に今回の展示「Dimension 2019」に参加する運びとなった。|「Dimension」を冠すこの展示は、現代社会の「次元」や「広がり」をテーマに、多種多様な表現スタイル、個人の内面で紡ぎ出される多次元的なイメージや世界観を展観したいとの思いで企画されたものである。こちらのお誘いがかかった時、私はこの「Dimension」という単語に親近感を覚えた。紙と図形を扱う私が、平面を抜け出して立体表現を模索し、視覚以外の知覚機能(主に触覚)への働きかけを考え、光を作品の一部に取り入れることで作品にふたつの表情を与える。このような境界を「越える」ことが作品制作の根源にあり、「Dimension」という語はその作風をそのまま言語化してくれるキーワードだった。このめぐり合わせに縁を感じ、「Dimension 2019」に参加させていただく。ちなみにご一緒することになるほかの4名についてもギャラリーによって選抜されているそうで、現時点で私はお名前や作風の一切を知らない。どんな出会いや気付きがあるか、とても楽しみである。

 

さて、そうこうしているうちに、今は2019年1月23日の20時34分である。銀座四丁目の交差点にほど近い、ビルの3階のカフェに入った。今日はとても特別なことがあったので、そのことについて少し書きたい。|本日2019年1月23日は、松屋銀座7階にあるデザインギャラリー1953での第751回企画展「鈴木康広 近所の地球 旅の道具」の初日であり、鈴木康広(スズキ・ヤスヒロ)さんご本人と、この展示会を担当されたグラフィックデザイナーの原研哉(ハラ・ケンヤ)さんとのトークセッションが開催された。幸いなことにその場に同席することができた。今はその帰りにマンゴージュースを啜っているところなのだ(ちなみにセッション後にいただいたカップに半分の赤ワインのおかげで気持ちよくほろほろである)。|18時を少し過ぎると、司会の方がご挨拶をされ、お二人がぽろぽろと口を開き話し始めると、その空間は、日常の小さな気付きの寄せ集めのような集大成のような、それでいてもう二度とないような、お二人だけの宇宙空間のような、誰にでも開かれた公園のような、不思議な場所と時間軸にいる感覚をもたらした。ほんの1時間のうちに起きたとは思えない気付きと、浴びた言葉と、掻き混ぜられた思考とを、書いてみようと思う。その前に鈴木康広さんの紹介をしておく。鈴木康広さんとは、ある日の書店で偶然手に取った『近所の地球(鈴木康広/青幻舎/2015年)』という著作を通して初めて出会った。着飾らない素朴な線で描くスケッチはユーモアに溢れていて、それでいてとても身近な感じがするのは、生活に身近なモチーフを描くからだろう。人のシルエット、コップ、雨、鳥、木、りんご、けん玉、そういう「もの」から、空気、時間、鏡の内側、水滴の内側、ものの上下、過去と未来、そういう「こと」までを、終わりなく書き続けてしまう人である。|①トークセッションの前に一つ私自身の話をしたい。中盤に「目に入った数字を素因数分解する癖がある」と書いたが、その癖が派生して今は「『分ける』は『分かる』ということ」、ということを、信じている。つまり、複雑に絡み合ってそれぞれの本質や輪郭が見えないように思えてしまうものを、一つひとつ丁寧に分けていく。物理的に花びらを一枚ずつ剥がして並べるわけではない。ただ「分けて」いくと、次第に「分かれて」いき、やがて何らかの規則性や内容の深みのようなものについて「分かって」くる。このような感覚を、私は「ものごとの因数分解」と呼んでいる。複雑に見えるものが、実はシンプルなものの集まりであったと分かると、なんだか安心したものだ。中でも自分が気に入っているのは、「漢字の因数分解」である。これも私が勝手にそう呼んでいるだけなのだが、たとえばこういうものだ。「恋」という漢字を書こうとして「変」と誤ってしまうことが頻繁にある。逆は少ないように思う。これは、上段の「亦」が共通しているということだけでなくて、下段の「夂」が「愛」と同じ位置になるからだということに行き着く。そして、恋について考える時は、愛についても考えていて、けれども度が過ぎると、変になってしまうのかもしれない、などと思う。ここで、鈴木さんの作品に戻る。展示会場の壁一面に描かれた彼のスケッチを見渡すと、どうやら彼も「漢字の因数分解」をしていた。それも、もうずっと前から呼吸をするのと同じようにやってきているみたいだった。彼は、「未来」というなんの変哲もない二字熟語を「一」「十」「木」「未」「来」と書いて見せた。さらに、それぞれの漢字の下には地面の土(一)、そこから生える枝と幹(十)、さらに葉が茂り(木)、枝が増え(未)、りんごの実が二つ生る(来)。するとただの二字熟語に漢字が5種類も含まれ、ただの「未来」が示す意味よりもずっと多くの意味を内包していて、私はこれをとても美しいと感じた。彼の目には、ものごとの外側だけではなくて中身が透けて見えるのかもしれない、などど思った。そうして感動しているうちに、原さんと鈴木さんのトークセッションが始まった。|②「今日はサンパウロから飛行機で帰って来たその足で銀座の会場に居るのです」と言う原さん。それを受け「サンパウロってどこだっけ、チリだ、いやそれはサンティアゴだ、ああブラジルだ、ブラジルのみなさーん」などと考える私。そうしてすぐに「地球の反対側だ、」と思い至るやいなや、原さんは「地球の逆側からこの展示会場に向かう、というのはまさに今日の鈴木さんとの時間にふさわしいわけですね」そう前置きをした。会場全体がぐっと腹さんの言葉に釘付けになり、次の言葉を待つ心地良い緊張感が会場に流れた。|③冒頭からいきなり「数学」という単語を聞いたため、私は驚いて音が聞こえそうな勢いで顔を上げた。原さんは、森田(真生)さんという数学者の方に、ご自身のデザインのことを「数式を使わない数学みたいなことをやっている」と言われたことがあるのだそうだ。数学というのは、「体がすでに分かっていて考えなくてもできることを解釈し直す」という性質がある。デザインにもアートにも、それに似た役割のようなものがある。森田さんの講演は私も拝聴したことがあるので、このお二人がこのようなつながりを持っているということに感動せずにはいられなかった。原さんのお話は続き、「数学」には「人気」と「不人気」があるという話題に。例えば「足し算」は「人気のある数学」に位置付けられる。実用性があるからだ。反対に、「ねんどの数学」というものもある。「ひとつのねんどとひとつのねんどを足すと、ふたつのねんどにはならず、足す前よりも大きなひとつのねんどが完成する」ことになる。こういう数学も実在するけれど、人気じゃない。なぜなら実用性がないから。そんな話をされて、数学を「今日の夕飯」や「子どもの図画工作の授業」と並列するような親しさで成立させていて、圧倒されてしまった。|④原さんは、会話の隙間を見つけては鈴木さんの作品について言及し、ほとんどの場合はそれを褒めた。公園にある球型の遊具、「グローブ・ジャングル」を題材にした作品。昼にその遊具で遊ぶ子どもたちの映像を撮影し、夜にその映像をグローブ・ジャングルに投影するというものである。回っている状態のグローブ・ジャングルは、スクリーンの役割を果たす。また、「テンポ」の代わりに「1秒」「1分」「1時間」「1年」「1万年」などの時間単位がふられたメトロノームの作品。そのメトロノームは本来の「1秒」よりもずっと長い、10秒なのか、30秒なのか分からないペースで時を刻む。そうして、「長い1秒」を数えるメトロノームの針を見ていると、「長い1秒」よりも長い時間位単位はどんなに気の遠くなるような時間であろうかということを想起させる。また、変わったタイプの色鉛筆についても言及。水色の色鉛筆と、白色の色鉛筆を、それぞれ芯の中心を通るように縦に真っ二つにして、水色と白色が半々になるように合わせた色鉛筆。原さんはそれを言葉とジェスチャーとで説明しながら、「これを『地平線を書く鉛筆』と言い切ってしまうところに受け手側の気付きがある。『水色と白色を書く鉛筆』と言ってもいいのに、『地平線』と言う。するとほんとうに『ああこれは地平線をかくための道具なんだ』という気がしてくる。身近なものを出発点に、ひゅーっと遠く先まで飛ばしてくれる。そういう凄みがある」と伝えてくれた。|⑤さて、このトークセッションでの感動や発見を書いてしまうと10にも20にも膨らんでしまいそうなので、次で最後としたい(本当は書きたいのだけれど、書くにはあの場で共有されていた空気感や、言葉にされていないもの(背後の展示作品や、鈴木さんの著作物とそれらに囲まれた私たち)を事細かに書くことになり、骨が折れそうになる、というのが本音である)。トークセッションの終わり、少々時間も押している中で、「せっかくですから」と原さんが「皆さんからも何か聞いてみましょうか」と問いかける。会の進行をしていた女性が「それでは質問のある方ーー」と言いいかけて「まあ質問というか、言いたいことでいいですよ」と原さんが再び包み込む。これに安堵した私はすっと手をあげ、マイクを受け取り、口を開いた(このとき私は会場の最前列に座っており、緊張でまわりの音は遮られ、原さん・鈴木さんの目を交互に見詰めながら、自分の声を正しながら必死に話そうと努めていた)。「今日は貴重なお話をありがとうございました。私は数学が好きで、冒頭に数学のお話がありとても嬉しく思ったのですが、日頃から目に入った数字を素因数分解する癖があります。たとえばそこ(おふたりの背後)にあるギャラリーの看板の1953という数字もそうです。素因数分解をすると、たとえば10という数字を『1+1+1+1+・・・』ではなく『2x5』と1通りで表してしまう明快さがあります。こうして分けていると、分けることによって分かって来る感覚があり、だんだんと、今、私は今24なのですが、なんとなく世界のことが分かって分かくるような感覚が近づきながら生きているところなのです。ですから今日のお話で、鈴木さんが身近なものから地球や人間や生きることなどにつなげて、世界を分かろうとしている感覚を伺えたのは本当に幸運でした」というようなことを言った。するとまずは鈴木さん:「(中略)僕も日々、素因数分解と同じようなことをしているのだと思います」続いて原さん:「良い意見をありがとうございます。そうですね。数学者っていうのは素数が好きですよね。数を選ばせようとすると2,3,7,なんてのから減っていく。でも僕は6とか8とか選びたくなっちゃう。これは数学的感覚を持ってないからなんですがね。一体素数の何が数学者を奮起させるのかーー」そこに割って入る私:「文庫本1ページ分の小さなスペースで素数が永遠に存在することを証明できるのに、それがいつどのタイミングで出てくるかについては誰も知らない、解明できていないんです。そこが魅了、いや魅惑的なのではと思います」話しを終えて、おそらく独り言というか、純粋な疑問が口をついて出ただけという感じの原さんのお話についつい口を出してしまったことに気付く。マズいかも、と思ったけれど彼は「ほう・・・」と私の目を見ながら少し考えてまた話を拡張し、鈴木さんを交え、セッションのまとめへとつなげてくださった。|ほんの数分の会話だったけれど、その時間、私は確かにお二人と言葉を、そして心を交わすことができたと思っている。そう思えること自体が幸せでもあった。|さらにもう一つ、この会話の中で素数の魅惑の理由について私が話すときに、「文庫本1ページ分の小さなスペースで証明可能」という例えを言えたことを良かったと感じている。単に「短い証明」といっても、この証明を見たことのない人や日頃数学をしない人にとってはその「短さ」がどれくらいのものか判断がつかない。この言い換えは、先ほどの『地平線を書く鉛筆』の話につながっていると思う。これも、そう思えること自体が幸せである。気の持ちようだけれども、できるときは自分で自分を幸せにしてしまおう。

 

さて、そろそろ終盤のこととお思いだろう。ぶっ通しで書き連ねてきたけれども、今、左の「今」で18,059字である。ということは、2万字まで残り1,941字である。短いブログが一本かけそうだ。時間にすると3.9分(ここで4分と書かないところも、良くも悪くも自分の性分だなあと実感する)。これなら読んでもらえるだろうか。|最後に何を書くかを書きあぐねて、やはり〈数〉の話に行き着いたので、自分自身の関心度の深さに改めて気付いたりする。先の原さんのお話しにあったように、数学を好きな人は大抵「素数」が好きだ。私はそれよりも、6や28といった「完全数」や、220や284といった「友愛数」が好きなのだが、この文章を書きながらある企みを思いついてしまった。それは、ここで書く数字を「素数」にするということ。もちろん日付など変更不可な数字に対してはやらない。自在に調整できるのは、文章の合間に書いてきた「文字数」である。冒頭より、「619」「1,811」「3,727」「6,317」「9,209」「10,691」「18,059」と記録してきた文字数は、それぞれ素数である。ちなみに文字数カウントにはMicrosoft Wordを使用した。この7つの素数の中で、「4」だけが登場していない・よって、この文章は2万台の数字で一番最初に4が登場する「20,047字」で終えたいと思う。「7つの素数」といえば、文章の中で書いた〈紙〉にまつわるエピソードと、〈数〉の世界にまつわる作品の数も、「7つ」である。もちろん偶然ではない。ただ、物理的にスペースがかなり余っているので、上記で書ききれなかった作品についてもここに列挙してみたい。4作品あったので、7に足して、11作品。ここでもきちんと素数を保ってくれている。|⑧『フェルマーの最終定理サイモン・シン著/青木薫訳/新潮文庫/2006年)』表紙に「358年間、数学界最大の混乱を巻き起こした謎に対する物語」と書かれた不穏な空気のこの本。その謎とは、17世紀の数学者ピエール・ド・フェルマーが残した「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」というメモから始まる。天才数学者アンドリュー・ワイルズがこの謎を解くために、日本人の数学者、谷山豊と志村五郎の組み立てた理論が大きな役割を持ったのだ。比較的数学用語が多く、読み進めるのは大変だったが、それは3世紀にわたる数学者の苦しみが延々と描かれているからかもしれない。その分、感動もひとしお。|⑨『マスペディア1000(リチャード・エルウィス著/宮本寿代訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2016年)』数学の定理や公理やその発展を1000項目にまとめた書。デザイン的にも美しく、銅や青銅のような色が随所に用いられているのは古代の文献でも読んでいるような気分になり(読んだことないけれど)、数学との親和性が高い気がする。「教科書よりも簡単で、百科事典よりも親しみやすい」と書かれたコピーに偽りはない。緻密に描かれたスケッチも素晴らしく、著者のエルウィスはこれを「1000枚の『絵葉書』」と読んでいる。ぜひ、自分の好きな絵葉書を見つけてほしい。|⑩『素数の音楽(マーカス・デュ・ソートイ/冨永星訳/新潮文庫/2013年)』知人の勧めで手に取った。9歳の頃から何らかの形で音楽に関わっていた私は、自ら望んで取り組んだ歴で言えば数学よりも長いことになる(小学校低学年の頃の算数にも比較的真面目に取り組んでいたが、「自ら望んで」というよりはただ「与えられた」だけである)。〈数〉と〈数字〉の関係は〈音〉と〈音符〉の関係に似ている。素数が奏でる音楽を聴こうとした天才たちの物語。|⑪『数学ガールの秘密のノートシリーズ(結城浩/SBクリエイティブ/2007年~)』実は、白状すると、実は(大切なことなので二度)、私はまだこの数学ガール秘密のノートシリーズを読んだことがない。「式とグラフ」に始まり11作品が出ているにも関わらず、そのストーリーをまだ知らない。ここまで散々書いておいてそれはないだろう、そんなことなら書かなければいいのに、などともう一人の私が言っているが、だからこそ書いてみた。本当は、読みたいのである。ただ、11冊ともなるとたじろいでしまう。だって「ワン・ピース」も「ドラゴン・ボール」も「あさりちゃん」も、「読み進めるのが大変」という理由で手をつけていないタチである。よって、読むものを絞ることにした。「整数で遊ぼう」という2作目から手をつけてみよう。本の紹介のはずなのに宣誓になってしまったことは謎だが、こうして書くことでこれらの作品について誰かと会話ができるようになっていったらなお嬉しいと思う。

 

さて、そろそろ本当に終わる。もしここまで読んでくださった方がいたら、本当に感謝である。無機質な作品を作っている作者の、有機的な部分を知って欲しかった。展示会場では作品展示の他に、フライヤーの配布と作品集の販売を行う予定です。お運びいただけたら、これ以上嬉しいことはありません。それでは、次の句点で、20,047字。

 

***

 

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シルバー色校にOKが出て、校了のサイン。上から、山田写真製版所 熊倉桂三氏/アートディレクター 青柳雅博氏/コウゴ・カナエ/デザイナー 橋詰冬樹氏/山田写真製版所 柳瀬氏。緊張と感動で文字を書く手が震えた。

 

▼Dimension 2019
会期|2019. 03. 11 [月] - 03. 16 [土]
時間|12:30 - 20:00  *最終日は17:00まで
入場|無料
作家|86.-halu-、三塚 新司、河野 紘幸、嘉 春佳、コウゴ・カナエ
会場|Gallery ART POINT
   東京都中央区銀座 1-22-12 藤和銀座一丁目ビル 6F
詳細|https://kanaecogo.hatenablog.com/entry/exhibition/2019/01

 

 

ここまでお読みくださった方、ありがとうございました。
感想もお聞かせいただけましたら嬉しいです。

 

以上! 

 

 

コウゴカナエ

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制作録〈二〉

制作記(2018. 12. 23)

3月の展示会へ出展する作品から一作。
iPhoneでちまちまコマ撮り。

*↓画像クリックで動画が再生されます。終了時はブラウザの戻るボタンを使用ください。

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コウゴカナエ

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